入り江の洞窟での暮らしは暫く続いた。
持ってきた役立たずの樽の中には、少しばかりのギルと、水のたっぷり入った水筒、ミスリルナイフ、ポーション、干し肉、リンゴのヌガーと、蝋燭、水で壊れたテント、それから濡れて使えなくなったひそひそ草が納まっていた。ひそひそ草は外国のもので、結構珍しい。
この樽の本来の持ち主は、リックスからこっそり逃げ出す算段でもしていたのかもしれない。バッツは砂浜から土を取って、ひそひそ草を乾いた場所に植えてみた。通信は出来ないが、レーダー代わりくらいにはなるかもしれない。
どの位流されたか正確には計算できないが、兎に角、あまりじたばたしてもはじまらない。バッツが海へ漕ぎ出していけそうな木材と言ったら樽と、後ろに生えた生木だけで、切れるものと言ったらミスリルナイフ一つっきりだ。バッツは既にジョブマスターだが、武器がなければ技は正確に使えない。
周りを見渡しても、イカダにするには木材が少なすぎる。乾いた木材は火起こし用にとって置いた方がいい。
リックスでは今頃、バッツが居なくなって大騒ぎだろう。バッツには海を知り尽くした心強い友もいる。その子が、今彼を探しているに違いなかった。病身の父も心配だ。木に負けるのは、昔の冒険を思い出して何だかちょっと嫌だったが、無闇に海へ出て行くより座して待つ方が早く帰れそうだ。
それにあの人魚…クラウドが、逐一界や魚を届けてくれるので、存外食うのにも生活するのにも困らなかった。
(しっかしこの入り江…)
バッツは木の枝に結わえ付けたテントの下で嘆息した。これで結構暮らしやすい。日当たりも良く、風通しもいい。寝転がるテントをしつらえて、樽を机に干し肉齧ってればちょっとした隠れ家にいる気分だ。
そんな気分で食事していると、クラウドが不思議そうに干し肉をみていたので、試しにご相伴してもらう事にした。バッツは浅瀬まで下っていって、岩の上に座っているクラウドの前に肉の欠片を差し出した。
「食ってみる?」
クラウドはちょっと眉を顰めて、少しの逡巡の後、それを両手にとって一口齧った。目が泳いで、口がもぐもぐ動く。切れ端を噛んでのみ込んだ彼は、めをしばたたかせて一声「キュウ」と呟いた。
顔つきを見るに結構美味しかったらしい。予想してたけど、人魚って結構肉食だ。彼は残りを少しずつ口に運んでいる。バッツは頷いて、クラウドの横に腰を下ろした。
クラウドはちょっとびっくりした様だったが、そのまま逃げようとはしなかった。二人は並んで、ちょっとの間一緒に食事をした。すっかり元通り綺麗になった尾びれが、足元でゆらゆら揺れている。
それを見て、バッツは少し華やいだ気分になった。日の光に照らされて、鱗がキラキラ輝いている。綺麗だった。置かれている状況は悪かったが、旅は道連れだ。連れが居ると心和んだ。
もう彼は3日程ここにいた。普通なら本当に救助が来るのかちょっと不安になってくる時期だが、クラウドがいてくれてお陰で、バッツは結構のほほんとしている事が出来た。
「そうだ」
バッツはズボンのポケットを探って、そこから光る物を取り出した。それは碧い宝石のついた、金縁の指輪だった。自分用に持っていた物だ。食事をし終えたクラウドが、何をするのか横目でバッツを見つめている。バッツはにっこり笑ってクラウドの手を取ると、その薬指に指輪をはめた。
「守りの指輪。持ってけよ」
クラウドは顎を上げると、口をへの字に曲げた。それから今度は俯いて、手を眼前に持ってくると困った様子で指輪とバッツを交互に見つめる。反対側の指先が伸びて、指輪を外そうとする。
「おおっと、つけとけよって、いいから。一番良いアクセサリなんだ、これ」
バッツは慌ててそれを推し留めると、自分を指差して、両手で指輪のついたクラウドの手を握った。目を合わせて、これはお前にあげたんだ、と訴え掛ける。
見すくめられて、クラウドはしどろもどろに視線をそらした。それから、ぷいっとそっぽを向く。金髪の間から見える耳が少し赤い。
(あれ…照れた?)
バッツは口元に手を当てた。にやにや唇が吊りあがる。この人魚、笑わないし、あんなり表情ないから、そういう生き物だと思っていたけど、どうやらそれはクラウド自身の問題だったらしい。
(意外と可愛い所あるんだなあ)
クラウドは、バッツの手を振りほどくと、ちらりと彼を一瞥して、ぶっきら棒に何事か呟いた。ありがとう、とでも言っているのだろうか。バッツは何だかドキドキして、自分まで小声で「どういたしまして」と言った。
その日の夜は更けて、とっぷりと日が暮れた。暫くその水辺でぶらぶらしていたクラウドは、一度水面から顔を上げると、バッツに向かってちょっと手を振った。“見張りに行く”合図だ。
クラウドは夜目が利くらしく、真夜中になると出かけて行って、外敵が近寄らない様に入り江の周りを見張ってくれている。
誰が頼んだ訳でもないが、結構勇敢なタチらしい。良く見ると体にも引き締まった筋肉がついていて、戦士なのかも知れなかった。そうなると、夜の海で溺れていたのは何故だろう。
そもそもあんなに傷だらけだったのはちょっとおかしい。“彼”なのか“彼女”のどっちなのだろうか。“彼”っぽいから、彼と呼ぶが、それでも疑問ばかりわいてくる。バッツは篝火に焚いていた火を消すと、横になって、じっと洞窟の入り口を見つめた。
入り口には、クラウドがいた。彼の髪が、月明かりを反射して、水面うつる。まるで金色の光が踊っている様だ。バッツは、水面に映ったその光を瞼の裏にしまい込んで、マントに包まり浅い眠りに落ちていった。
目が覚めると、既に空が白んでいた。洞穴の上に開いた穴から、日が昇ろうとしているのが見えた。明け方だ。バッツは半身を起こして浅瀬を見た。クラウドが帰って来ている。
彼は砂浜に横たわり眠っていた。バッツはちょっと考えて、立ち上がると、そっと彼の元まで歩み寄って、その直ぐ傍にしゃがんだ。クラウドは良く眠っている様子で、目覚める気配はない。
バッツは黙って彼をじっと観察した。ちょっと鱗が剥げていたので、モンスターか何かと小戦あったみたいだ。なにも毎晩見張らなくていいのに、彼はこうやって、バッツの眠りを守ろうとしてくれている。
(律儀だなあ)
交代するとか、伝えられたら良いのに。というか離れず居てくれるだけでも良かったのだ。遭難者は、それで十分助かる。勿論頼んだ訳で無し、止める由もない。
(どうしてこんなにしてくれるんだろう)
バッツは頬杖をついてクラウドの顔を見つめた。閉じた瞼に金の睫毛が見える。人魚にも、人間と同じように睫毛があるみたいだ。筋の通った、小さな鼻梁、唇、細い輪郭、細い首、白い肩、その先の腕。上半身は人間と変わらない。
(下って魚と同じなのかな)
首を擡げて、バッツはクラウドの腰から下を見た。揺れる水面に浸かっていて、どうも良くわからない。腕をまくり、手を伸ばして触れてみる。撫でる鱗は繊細で暖かい。
「ふむ」
少し思案した後、バッツは身を乗り出して、指先をクラウドの腰の裏へ進めた。人と同じ尾てい骨がある。クラウドがくすぐったそうに身動ぎした。
「ん」
その先に触れた途端、ぱっちりと開いた蒼い瞳と目が合った。
「あっ」
まだぼんやり夢の中にいる様子のクラウドの視点が、ゆっくりと定まってバッツを見た。それから体の後ろへ首を捻る。彼の喉がごろごろ唸って鳴った。
バッツはそっと手を放して、拳銃を突きつけられでもした様に肩まで掲げた。気まずい。触ってしまいました。お尻。
視線を戻したクラウドは、眉根を寄せて、何してるんだコイツ、妙な所を何故触る。という様な視線をバッツに投げかけている。何されたか解っていないのか、寝ぼけているのか、どっちだろう。
「あーあの、触っちゃった、お…」
バッツが言いかけた時、クラウドが、急に手をついて半身を起こした。
クラウドが、耳をそばだてて辺りを見渡す。バッツは遠くから、波をかき分けて船の近づいてくる音を聞いた。
船の先頭が洞窟の外にぬっと姿を現す。甲板に、髭を蓄えた初老の男と、男物の服を身に着けた女性が立っていた。バッツは眩しそうに目を細めた。
それから、その二人が友達で、救助が来たのだと解ると、目を輝かせて二人の名前を呼んだ。
「ガラフ!ファリス!」
「おおーい!バッツ無事か!」
老人が手を振る。バッツも立ち上がってニ、三歩歩み出ると、笑顔で手を振り替えした。
「クラウド、あれが俺の仲間…」
バッツは振り帰ってクラウドを呼ぼうとした。
そこには、誰も居ない砂浜が広がっていた。
4へ続く